骨寺村荘園遺跡01

【重要文化的景観】骨寺村荘園遺跡とは

骨寺村荘園遺跡と農村景観

国史跡

 中世の骨寺村、すなわち現在の一関市本寺地区にある「骨寺村荘園遺跡」は、国の重要文化財『陸奥国骨寺村絵図』に描かれた堂社などの跡が多く残り、中世からつながる景観が全体に良好に保たれ、絵図の世界を体感できます。このことが評価され、平成十七年三月、絵図と現地との対比が可能な堂社や岩屋等の九つの区域が、国史跡「骨寺村荘園遺跡」として指定されました。

景観計画区域と重要文化的景観

 本寺地区では、史跡指定地はもちろんのこと、水田や居住域と里山の範囲が景観法の「景観計画区域」に定められ、さらにそのうちの中核部分が文化財保護法の「重要文化的景観」に選定されました。これによって、この地区の景観は、国指定の史跡に加えて二重三重の保護が図られることになりました。

 中世以来の姿を残している本寺地区の農村景観が、かけがえのない価値を持つと認められたのです。

骨寺村荘園遺跡の遺跡解説

慈恵塚
慈恵塚(じえづか)・拝殿(はいでん)

 本寺地区北側に連なる山並みの東の端を逆柴山といい、その頂き付近に慈恵塚があります。塚は直径約10mあり、周囲には溝と土塁が巡ります。現在は、江戸時代に築かれた石祠なども残っています。
 拝殿はその山裾に位置し、慈恵大師を祀っています。

不動窟
不動窟(ふどうのいわや)

 慈恵塚の西側の山の中腹にある岩屋で、骨寺村絵図にも描かれています、高さ約3m、奥行き約13mの洞窟で修験者の活動の場所であったと考えられています。

若神子社
若神子社(わかみこしゃ)

 若神子社に関しては様々な解釈がありますが、近年の研究では栗駒山(須川岳)を拝むための施設であったといわれています。

要害館跡
要害館跡(ようがいだてあと)

 北側の山並みにある戦国時代の山城で、本寺十郎左衛門の居城と伝えられています。荘園の終末を示す遺跡です。

遠西遺跡
遠西遺跡(とおにしいせき)

 発掘調査によって、整地された平坦面と掘立柱の建物の痕跡が確認されています。十二~十三世紀の土器と陶器が発見されていて、荘園時代の生活の跡と考えられています。

伝ミタケ堂跡
伝ミタケ堂跡(でんみたけどうあと)

 北側山並み西部の山頂付近にミタケ堂跡と伝えられる場所があり、付近の平場からは、西に山王山を、眼下には平野部を展望することができます。山岳信仰の聖地だったと考えられています。絵図にも描かれており、当時の村の北境でもありました。

梅木田遺跡
梅木田遺跡(うめのきだいせき)

 発掘調査によって、大型の柱穴と柱間をもつ建物跡が発見されました。大型の建物跡は村落経営のための重要施設であった可能性があります。

駒形根神社
駒形根神社(こまがたねじんじゃ)・白山社(はくさんしゃ)

 駒形根神社は、骨寺村絵図の西端に描かれている「駒形」「駒形根」(栗駒山・須川岳)を祀っているところです。絵図にも描かれている「六所宮」と考えられています。
 白山社は石川県の白山比咩神を請じ迎えたところです。白山比咩神社は中世には比叡山の末院となり、白山神人は天台宗勢力の伸張のために活躍しました。

山王窟
山王窟(さんのうのいわや)

 日吉山王神は天台宗の本山延暦寺の地主神です。日吉山王神の岩屋が、村の最奥の高所に据えられているのは、骨寺村が天台宗寺院中尊寺の所領であることを強調しているかのようです。岩屋は納骨の霊場でもあったと考えられています。